長かったブルベも残り360kmほどになりました。(いや、まだ長いんですが)。
このまま走り続けるとゴールは翌早朝くらいになると思いましたが、脚は動いていたし残りは平坦区間だしということで、最後は仮眠を取らずに走りきる計画としました。これまでの1000kmブルベではいつも最後は徹夜で走っていたというのもその理由です。が、これが結果的には大きな判断ミスとなりました。
平坦で大したことはないと思っていたこのコース、蓋をあけてみると暑さと路面の悪さでかなり過酷なコースであったことも誤算でした。
最後の最後で長い修行区間となりました。
Stage 15 : 〜 Pieve Coirano (69.5km, 8/21 4:59 〜 8/21 9:21)
コントロールを朝4:59に出発しました。本当はもう少し寝るつもりだったのですが、ふと目を覚ますと周りの人がだいぶいなくなっていたので予定を早めての出発でした。
しばらく川沿いのサイクリングロードのようなところを走りましたが、これまでとはまた違った美しい景色の連続でとても楽しめました。特に朝焼けは見事で、「自分のランドヌール人生の中でもピークの経験だろうな」とか「海外の地をこんな風に自転車でじっくり走って景色を堪能するというのはランドヌールだけができる贅沢だな」なんてことを考えながら走っていました。 コースはポー川に合流してポー川沿いを走るようになります。ポー川のゆったりした流れもきれいでした。 途中、持参したカロリーメイトやコントロールで貰ったお菓子を食べながらゆっくり走りました。
Stage 16 : 〜 Sorbolo Coenzo (77.2km, 8/21 10:14 〜 8/21 15:11)
Stage 16はひたすらポー川沿いを走りました。朝のうちは楽しかった川沿いのコースですが、日が高くなってくると段々キツくなってきました。
- 日陰がなくて暑い!
- 路面が悪い!
- 延々同じような景色で進んでいる感じがしない!
この区間では多くの人に抜かされました。しかも抜かされた後全然ついていけず距離がどんどん開いていってしまいました。
まさに忍耐の走りで15時すぎにようやくコントロールにつきました。
コントロールはクローズまでまだ2時間ちょいあるはずですが、パスタなどが結構品切れになっていました。朝、皆先に出発していたことや、このステージでペースが上がらず結構抜かれたこともあってだいぶ遅れてしまっているのではないかとちょっと焦り始めました。
Stage 17 : 〜 Fombio (91.1km, 8/21 15:33 〜 8/21 19:56)
Stage 17も暑くてキツい時間帯が続きました。(イタリアは標準時の関係で15〜17時ごろが暑さのピークになるようです)。
コースの方は川沿いから離れて少し変化はでてきました。町から町を走って、各町のシンボル(教会など)を巡るコースになっていて、きっと有名なシンボルだったのだと思うのですが、自分には知識がなかったため、走っているうちに「いつまで続くんだろう」「いつになったら終わるんだろう」という感じになってしまいました。 そんなわけでなかなかペースが上がらなかったのですが、終盤、ドイツだかの方に抜かれた際に頑張って着いていこうとしたところ、快く引いていただけました。
その頃には腰痛がかなり酷くなっていたのですが、その方が背筋を伸ばしたり姿勢を変えて走るのを見習いながら、お蔭さまでコントロールまでいいペースで走ることができました。
ところで、日本人はあまりやらないですが、外国の方は走りながら色々なことをしますね。背中のポケットからペットボトルを取り出して飲んだり、上着を着たり脱いだり。また、グループで走っているときには物を渡したり受け取ったり。
日本のランドヌールは1人で走るという感じでバイクには沢山の荷物を積載している人が多い印象ですが、外国の方はもっとグループで走る感じの人が多いように思います。
また走り方も日本人はマイペースで走り続ける人が多いですが、外国の方はハイペースで走ってがっつり休む人が多いようにも感じました。
自転車文化とか、サイクリスト人口の違いからかな、などと考えながら走っていました。
コントロールには20時ごろ着きましたが、1日中暑い中を走っていたため脱水状態で、コントロールで水を2リットルくらい飲んでようやく潤ってきた感じがしました。
Stage 18 : 〜 Parabiago (123.7km, 8/21 21:06 〜 8/22 6:19)
Fombioで仮眠を取っている人も多かったですが、前述の通り私はそのまま進むことにしました。
ゴールの制限時刻は午前8時なのであと11時間、11km/h以上で走る必要があります。決して難しい速度ではないですが、これまでの身体の痛みと疲労とで休み休みの走りとなり全くペースが上がっていなかったので、意識してスピードコントロールしないとタイムアウトの危険のある時間と考えました。
そこでここからはEdge 530の画面を常時オンにして常に速度を表示し、巡航速度20km/hを維持して走ることを心掛けるようにしました。
最初のうちは順調だったのですが。。
(ここからは怒られてしまう内容ですが)
まず、この日も複視の症状に悩まされ、走行に非常に神経を使うようになり、休み休みでないと走れないようになってきました。
さらに、周囲に街灯がまったくなく自転車のライトの照らす範囲しか見えないためか、逆に走りに集中できなくなり、思考が空想的というか色々なことを考えるようになってきました。
最初は自覚がなかったのですが、途中で「あ、これは夢を見ているんだ」と気づきました。よく、眠いときに一瞬寝てしまって意識が落ちるということがありますが、このときは意識はありつつ、同時に夢も見るという感じでした。意識はありつつ徐々に意識レベルが下がるという感じだったので自覚するまで夢を見ていることに気づきませんでした。
夢を見ているならば、これは危険だということで、そこからは適宜短かい仮眠をとりながら進むようにしました。
が、真っ暗い中、似たようなコースを延々走っていたために、正直記憶があまりありません。
明確に覚えているのは
- 途中のシークレットで先行していた方(先のステージで引いていただいた方)に場所を教えてもらってサインを貰いにいったシーン
- 途中ダートのような狭い道で、図らずも高速トレインに巻き込まれてしまって、自分もしばらくそのトレインに乗って走ったシーン。
- 途中、町の中でコースが分からなくなり右往左往したシーン
くらいです。
9時間かけてやっとこさゴールについたときも朦朧としていて、多分、日本人参加者に「おめでとう」と声をかけていただいたのですが、まともに返事ができませんでした。ごめんなさい。
その後、ゴール受付をしメダルを掛けていただきましたが、やっぱり疲労困憊、満身創痍、茫然自失、意識朦朧という感じで、その瞬間は感動のようなものはまだ全く感じられませんでしたが、ゴール後の食事をいただき、他の日本人完走者の方とお話しするうちに、ようやく徐々に達成感、安堵感、嬉しさ、感動を感じられるようになっていきました。
。。。以上が私の1001 migliaでした。
イタリアの様々な美しい景色の連続で、本当に最高のブルベであったのですが、最後の最後、大団円となるはずが朦朧としたまま終えてしまったのは自分の未熟さ故と思います。もし最後のコントロールで1時間でも仮眠を取っていたら、この最終ステージは全然違うものになっていたでしょう。折角の最終ステージでこの点は大きな心残りとなってしまいました。