【1001 miglia】Day 6

長かったブルベも残り360kmほどになりました。(いや、まだ長いんですが)。

このまま走り続けるとゴールは翌早朝くらいになると思いましたが、脚は動いていたし残りは平坦区間だしということで、最後は仮眠を取らずに走りきる計画としました。これまでの1000kmブルベではいつも最後は徹夜で走っていたというのもその理由です。が、これが結果的には大きな判断ミスとなりました。

平坦で大したことはないと思っていたこのコース、蓋をあけてみると暑さと路面の悪さでかなり過酷なコースであったことも誤算でした。

最後の最後で長い修行区間となりました。

Stage 15 : 〜 Pieve Coirano (69.5km, 8/21 4:59 〜 8/21 9:21)

コントロールを朝4:59に出発しました。本当はもう少し寝るつもりだったのですが、ふと目を覚ますと周りの人がだいぶいなくなっていたので予定を早めての出発でした。

しばらく川沿いのサイクリングロードのようなところを走りましたが、これまでとはまた違った美しい景色の連続でとても楽しめました。特に朝焼けは見事で、「自分のランドヌール人生の中でもピークの経験だろうな」とか「海外の地をこんな風に自転車でじっくり走って景色を堪能するというのはランドヌールだけができる贅沢だな」なんてことを考えながら走っていました。 コースはポー川に合流してポー川沿いを走るようになります。ポー川のゆったりした流れもきれいでした。 途中、持参したカロリーメイトやコントロールで貰ったお菓子を食べながらゆっくり走りました。

Stage 16 : 〜 Sorbolo Coenzo (77.2km, 8/21 10:14 〜 8/21 15:11)

Stage 16はひたすらポー川沿いを走りました。朝のうちは楽しかった川沿いのコースですが、日が高くなってくると段々キツくなってきました。

  • 日陰がなくて暑い!
  • 路面が悪い!
  • 延々同じような景色で進んでいる感じがしない!

この区間では多くの人に抜かされました。しかも抜かされた後全然ついていけず距離がどんどん開いていってしまいました。

まさに忍耐の走りで15時すぎにようやくコントロールにつきました。

コントロールはクローズまでまだ2時間ちょいあるはずですが、パスタなどが結構品切れになっていました。朝、皆先に出発していたことや、このステージでペースが上がらず結構抜かれたこともあってだいぶ遅れてしまっているのではないかとちょっと焦り始めました。

Stage 17 : 〜 Fombio (91.1km, 8/21 15:33 〜 8/21 19:56)

Stage 17も暑くてキツい時間帯が続きました。(イタリアは標準時の関係で15〜17時ごろが暑さのピークになるようです)。

コースの方は川沿いから離れて少し変化はでてきました。町から町を走って、各町のシンボル(教会など)を巡るコースになっていて、きっと有名なシンボルだったのだと思うのですが、自分には知識がなかったため、走っているうちに「いつまで続くんだろう」「いつになったら終わるんだろう」という感じになってしまいました。 そんなわけでなかなかペースが上がらなかったのですが、終盤、ドイツだかの方に抜かれた際に頑張って着いていこうとしたところ、快く引いていただけました。

その頃には腰痛がかなり酷くなっていたのですが、その方が背筋を伸ばしたり姿勢を変えて走るのを見習いながら、お蔭さまでコントロールまでいいペースで走ることができました。

ところで、日本人はあまりやらないですが、外国の方は走りながら色々なことをしますね。背中のポケットからペットボトルを取り出して飲んだり、上着を着たり脱いだり。また、グループで走っているときには物を渡したり受け取ったり。

日本のランドヌールは1人で走るという感じでバイクには沢山の荷物を積載している人が多い印象ですが、外国の方はもっとグループで走る感じの人が多いように思います。

また走り方も日本人はマイペースで走り続ける人が多いですが、外国の方はハイペースで走ってがっつり休む人が多いようにも感じました。

自転車文化とか、サイクリスト人口の違いからかな、などと考えながら走っていました。

コントロールには20時ごろ着きましたが、1日中暑い中を走っていたため脱水状態で、コントロールで水を2リットルくらい飲んでようやく潤ってきた感じがしました。

Stage 18 : 〜 Parabiago (123.7km, 8/21 21:06 〜 8/22 6:19)

Fombioで仮眠を取っている人も多かったですが、前述の通り私はそのまま進むことにしました。

ゴールの制限時刻は午前8時なのであと11時間、11km/h以上で走る必要があります。決して難しい速度ではないですが、これまでの身体の痛みと疲労とで休み休みの走りとなり全くペースが上がっていなかったので、意識してスピードコントロールしないとタイムアウトの危険のある時間と考えました。

そこでここからはEdge 530の画面を常時オンにして常に速度を表示し、巡航速度20km/hを維持して走ることを心掛けるようにしました。

最初のうちは順調だったのですが。。

(ここからは怒られてしまう内容ですが)

まず、この日も複視の症状に悩まされ、走行に非常に神経を使うようになり、休み休みでないと走れないようになってきました。

さらに、周囲に街灯がまったくなく自転車のライトの照らす範囲しか見えないためか、逆に走りに集中できなくなり、思考が空想的というか色々なことを考えるようになってきました。

最初は自覚がなかったのですが、途中で「あ、これは夢を見ているんだ」と気づきました。よく、眠いときに一瞬寝てしまって意識が落ちるということがありますが、このときは意識はありつつ、同時に夢も見るという感じでした。意識はありつつ徐々に意識レベルが下がるという感じだったので自覚するまで夢を見ていることに気づきませんでした。

夢を見ているならば、これは危険だということで、そこからは適宜短かい仮眠をとりながら進むようにしました。

が、真っ暗い中、似たようなコースを延々走っていたために、正直記憶があまりありません。

明確に覚えているのは

  • 途中のシークレットで先行していた方(先のステージで引いていただいた方)に場所を教えてもらってサインを貰いにいったシーン
  • 途中ダートのような狭い道で、図らずも高速トレインに巻き込まれてしまって、自分もしばらくそのトレインに乗って走ったシーン。
  • 途中、町の中でコースが分からなくなり右往左往したシーン

くらいです。

9時間かけてやっとこさゴールについたときも朦朧としていて、多分、日本人参加者に「おめでとう」と声をかけていただいたのですが、まともに返事ができませんでした。ごめんなさい。

その後、ゴール受付をしメダルを掛けていただきましたが、やっぱり疲労困憊、満身創痍、茫然自失、意識朦朧という感じで、その瞬間は感動のようなものはまだ全く感じられませんでしたが、ゴール後の食事をいただき、他の日本人完走者の方とお話しするうちに、ようやく徐々に達成感、安堵感、嬉しさ、感動を感じられるようになっていきました。

。。。以上が私の1001 migliaでした。

イタリアの様々な美しい景色の連続で、本当に最高のブルベであったのですが、最後の最後、大団円となるはずが朦朧としたまま終えてしまったのは自分の未熟さ故と思います。もし最後のコントロールで1時間でも仮眠を取っていたら、この最終ステージは全然違うものになっていたでしょう。折角の最終ステージでこの点は大きな心残りとなってしまいました。

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【1001 miglia】Day 5

5日目はStage 11〜14の253kmです。ここまでずっと続いてきた1000kmに及ぶ山岳区間もこれで終わりです。ここに来て1000m級2つというと堪えるものがありますが「1日かけて箱根2回」と考えれば出来ないことはないだろう、と自己暗示をかけて走りはじめました。

Stage 11 : 〜 Dicomano (54.1km, 8/20 4:22 〜 8/20 8:55)

Matassinoで3時間ほど仮眠を取り4:22に出発しました。最初は暗かったですが明るくなるにつれ目下に町を見下ろしながら走ることができました。また、ヨーロッパは高所に町を作るので、登り進んだところに町が現れたりして面白かったです。

18kmで1000mを登る感じなので、そんなにキツい斜度ではなくゆっくり力をセーブして登りました。

1つ目の峠をクリアして長いダウンヒルというところで。。。

パキン!!!

何かが割れるような音がしました。

なんだと思ってバイクを確認しましたがすぐには分からず、、しばらくチェックしていたら、何とフロントホイールのスポークが1本折れていました!

応急処置として折れたスポークがフレームに干渉しないように折り曲げてホイールを回してみたところ左右にブレてしまいます。

ここで終わったと思いました。平地なら騙し騙し走れないことはなさそうですが、1000m級のダウンヒルを安全に下りるのは難しそうです。

せっかくイタリアまで来てこんなところでDNFかと何とも言えない脱力感を感じ、スポークと一緒に心も折れてしまいました。

幸い次のコントロールまで10kmほどだったので、とりあえずそこまで行って食事を摂ってスタッフさんにDNFを伝えることにしました。

コントロールでゆっくり食事を摂りながらスマホでスポーク折れについて調べては「やっぱりスポークが折れても大丈夫とは言えないな」とか、帰路のルートを調べては「ここからミラノまで5時間弱もかかるのか」など考えていていました。すると、そこにちょうど日本からの参加者がいらっしゃったので

「マシントラブルでDNFになってしまいました。」

と伝えたところ、

「スタッフの中にメカニックがいると思うのでスタッフに相談した方がいいですよ。自分もディレイラーの不調を直してもらいました」と教えていただきました。

( PBPではメカニックさんがブースを構えて大々的に修理対応してくれていましたが、1001 migliaではそのようなものは全く見なかったのでコントロールで直してもら発想がありませんでした。)

さっそくスタッフさんに相談したところ、折れたスポークを取り外してもらえましたが、

「ここのコントロールにはメカニックはいない。次のコントロールに行ってみるか、途中の町で自転車店を探すしかない」

とのことでした。そうしたところ、今度はSNSで繋がっているオーストリアの方から

「イタリアの町には大抵自転車屋があるし、イタリア人は親切だからきっと助けてくれるはず」

とアドバイスが届きました。

自分はすっかりDNF気分になってしまっているのに、周りの人たちが何とか続けられるようにアドバイスをくれていることで、自分も考えを改めるようになりました。

「折角ここまで来たんだから、行けるところまで行ってみよう。」

Google Mapによるとここから20km以上離れたフィレンツェまで行かないと自転車店はなさそうでしたが、Appleのマップによるとルート上、2つ先の町(Borgo San Lorenzo)には自転車店がありそうです。ひとまずそこまで行ってみることにしました。

Stage 12 : 〜 Pallazuolo Senio (48.3km, 8/20 9:15 〜 8/20 13:32)

という訳で自転車店を目指して再スタートしました。トラブルを乗り越えてこそのブルベだ、と楽しくすらなってきました。

気持ちを切り替えてスイッチが入ったせいか、それまで苦しんでいた腰、お尻の痛みが嘘のようになくなりました。足に力が入るようになったんだと思います。

そうこうして、Borgo San Lorenzoに着き、自転車店に向かったのですが、Appleのマップの情報は正確でなく、少し離れたところに店舗があり、さらに自転車店ではなく、オートバイ店でした。結局、ここでは修理できず、確実に 自転車店を見つけるにはやはりフィレンツェまで行かないといけなそうと思ったのですが、ここは次のコントロールにメカニックさんがいることを期待して、そのまま先に進むことにしました。

ホイールのブレですが、そういえば以前伊那600で交通事故に合った際に同様のブレが出たことがありました。そのときは夕方だったためホイールのブレにはすぐに気付かずそのまましばらく走ってしまいました。

なので、今回も気付かなかったことにすれば大丈夫と(半分冗談で)考えたりしながら、もちろんダウンヒルでは慎重に走って先に進みました。

この最後の峠も目下に町を見下ろすような見事な景色を楽しむことができ、これだけでもDNFせずに続けてよかったと思いました。

そうこうするうちにコントロールに到着しましたが、ここは山の上だけあって、1001 migliaのコントロールの中でも何もないコントロールで当然ながらメカニックさんはいませんでした。それでもスタッフの皆さんが心配してくれて、タイヤに空気を入れてくれて、「次のControlのLugoは大きい町なので 自転車店があると思う」と教えてくれました。

Stage 13 : 〜 Lugo (55.6km, 8/20 13:55 〜 8/20 17:04)

というわけでLugoを目指して出発しました。ダウンヒルではスピードを出しすぎないように注意し、平坦区間ではホイールのブレに気づかなかったことにして。。

この区間はがっつり夕立に降られました。日本の夕立(ゲリラ豪雨と呼ぶ前の昔の夕立)は1回降ってやんだらおしまいですが、この地方の夕立は1度止んで晴れたと思ったらまた激しく降るというのが何度もありました。お蔭で、終わったと思って雨具を脱いで靴下を絞って走ってたらまた濡れ鼠になるということがありました。

とはいえ長いダウンヒル区間なので楽に走れて17時すぎにLugoのコントロールに着きました。

さっそくスタッフさんに自転車の修理について相談すると、私のことを覚えていてくれて(同じスタッフさんが選手のペースに合わせてコントロールを回っているので)、近くの自転車店に事情を説明して作業の予約をしてくれました。「店は19時までやっているが、作業時間が分からないのですぐ自転車店に行って、それから戻ってきて食事をした方がいい」と言われ自転車店に行き、さらにスタッフさんも自転車店まで来てくれて店員さんに事情を説明して優先的に修理してもらうことできました。

SOMECさんで修理していただきました

修理で1時間ほどロスしましたが、ようやく後顧の憂いがない状態でリスタートすることができました。まだ2時間貯金があるので十分完走は狙える範囲です。

Stage 14 : 〜 Massa Finalese (95.3km, 8/20 18:55 〜 8/21 1:19)

というわけで通常モードでリスタートです。

Lugoがかなり大きな町だったので「ここからは都市型ブルベになるのかな」と思ったらすぐに果樹園や田園風景に切り替わりました。イメージとしては北関東の高崎〜伊勢崎〜館林あたりを走っている感じです。でも葡萄畑などイタリアならではの景色は見られました。 ただ路面は想像以上に悪く、日が落ちるにつれ、段々修行のような走りになってきました。

街灯が少ない中、対向車のハイビームで視界を遮られつつ、ライトを頼りに路面だけを見て走り続ける感じです。何にも楽しくありません。また、畑や草むら沿いを走るため、ちょっと止まるとすぐ蚊やブヨに刺され気持ちよく休憩がとれません。

夜が更けて眠くなってくるとますますつらくなってきました。路肩で仮眠をとっているグループも多く見られましたが、私は虫が嫌だったので、そのまま進みました。

眠すぎてペースがぐっと落ちてしまって、午前1時すぎにようやくControlに到着しました。

コントロールでは食事を摂った後、体育館のようなところで雑魚寝しました。やはり固い床の上でしたが、すごく眠かったので有り難かったです。

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腰痛、指の麻痺

元々腰痛持ちで、ずっと前から悪化したり良くなったりを繰り返していたのですが、最近顕著に悪化してきました。

 

きっかけは5月の八戸1000じゃないかと思っています。がっつり登るコースでしたが、腰にかなり負担がかかり、腰にかなりの痛みがでて、腰から腿にかけてしびれの症状もでました。

 

それから自分なりにストレッチなどもしましたがあまり改善せず、スクワットをして悪化させたりしてきました。

 

最近は10〜15分歩くだけで腰が痛くなり立っているのがツラくなるようになりました。先日、美術館に行きましたが、休憩用ベンチを見つけては休まないといけない感じでした。

 

日常生活にも影響がでてきたので病院で治療してもらおうと思うに至りました。これはヘルニアかもしれないなと手術も覚悟しながら。

 

という訳で診察を受けてきましたが、レントゲンで異常が見つからず、血行をよくする薬(リマプロストアルファデクス錠)を1週間服用して様子を見ましょうということになりました。

 

また、折角病院に行ったということで、1001 miglia以来の右手薬指、小指の麻痺についても見てもらいました。こちらは本当に「ついで」のつもりで、放っておけば直るとは思っていましたが、20日経ってもまだ回復しないので、早く直せる方法があれば教えてほしいくらいのつもりで見てもらったのですが、お医者さん曰く「通常、こういうケースでは運動機能だけでなく、触覚などもなくなるのだが、運動機能だけ落ちるケースは見たことがない。20日経っても改善が見られないならば、神経内科で検査した方がいい」とのことで、帝京大学病院の紹介状を貰って帰ることになりました。

 

どちらもロングライドに支障がでるのでしっかり直したいですが、なかなか想像した通りにはいきませんね。

稲城、高尾

毎年、お盆の頃から売り出される稲城(梨)、高尾(ぶどう)。

 

今年は1001 miglia遠征や、その後の旅行で出遅れてしまいましたが、先週の日曜に買ってくることができました。

 

昨年まではロードバイクで買いに行って、リュックに入れて背負って帰ってきていたのですが、今年は妻とアルトで買いにいきました。

 

今年も府中街道沿いの清果園さんで購入しました。

 

大きな稲城を4つ、高尾3房で4800円のところ、高尾をもう1房おまけで頂いて、稲城4玉、高尾4房購入しました。

 

稲城も高尾も甘くて最高でした。

 

 

 

【1001 miglia】Day 4

4日目はStage 8〜10の320kmを走りました。トータル4000m登る難コースではありましたが、美しい景色の連続で最も楽しい区間でもありました。

Stage 8 : 〜 Bolsena (107.5km, 8/19 3:14 〜 8/19 9:37)

Stage 8は約700mの登りから始まりました。3時スタートのため最初は暗い中を淡々と登っていましたが、明るくなってくると目下に雲海を見下ろしながら登ることができました。標高は高くないのですが気温と湿度の関係でこのような景色となるのでしょうか。 最初の峠を越えると、山間の渓谷のようなところを走ります。さらに走り進むと高所に古い町が見えてきます。いかにもヨーロッパらしい美しい景色にワクワクします。これが見えてくると、この後、この町まで登って越えることになるのですが景色がすごく苦になりません。ちょうど朝日があたる時間帯だったので町並みが一層美しく見えました。 その後、600m級の峠を1つ越えるとボルセナ湖に出ました。それまでの山間の町並みとは全く異なる風景で楽しめました。 チェックポイントではサンドイッチが提供されましたが、タラか何か魚のフレークのサンドイッチでした。これまでシーフード系は初めてだったので、「湖畔の町に来たんだな」と思いました。

Stage 9 : 〜 Passignano Sul Trasimeno (131.2km, 8/19 9:50 〜 8/19 19:11)

Stage 9はボルセナ湖からトラジメノ湖までの131kmのコースになります。

途中、600m級、800m級の峠を越えていきますが、ゆっくり登るペースができていたので、それほど苦にはなりませんでした。 山頂付近には電波塔がたくさんあって興味深かったです。また有名なキャンプ地なのでしょうか。夏休みをアウトドアで過ごす方々が多かったです。 この区間は登りよりもむしろその後の平坦区間の暑さと空腹の方がキツかったです。お昼の時間帯では補給ができず、15時すぎにようやくBarを見つけてアイスとサンドイッチ、コーラを補給することができました。 そう言えばイタリアは標準時の関係で暑さのピークが15〜17時ごろにあるので要注意です。その分朝が遅いので知識として知っていればそれだけの話なのですが、灼熱の中を走っているときには日本にいるときよりも暑さが続く気がして心が折れがちです。心の準備をしておくといいです。 小さな丘をいくつか越えるとトラジメノ湖が見えてきます。やっとここまで来た思うと感慨深かったです。 ところで、このステージの終盤には3つ目のシークレットコントロールがあるはずなのですが、私はこのシークレットは見つけることはできませんでした。

公式からの資料に大体の場所が書いてあるのですが、このシークレットについては異なる2つの情報が載っていてどちらが正しいか分かりませんでした。「通りすぎたかも」と思ったときに少し戻って探してみたりはしたのですが見つけられませんでした。「ここからもっと戻るべきか、あるいはこの先にあることを期待して進むべきか」と思ったときに「これは停止条件のない探索問題だ」と考え、それ以上は戻らず進むことにしましたが、結果的にこのシークレットは見つけられませんでした。

( ゴール後、チェックを受ける際に「シークレット3のサインを貰えなかった」と伝えたところ、何を気にしているんだと言わんばかりに「No Problem」と言われて何事もなくメダルと認定証をいただきました。この辺結構アバウトです。)

Stage 10 : 〜 Matassino (81.3km, 8/19 19:38 〜 8/20 1:22)

この日の最後のステージは峠を2つほど越える81kmのコースです。

が、暗くなり周りの景色が見えなくなってしまったためあまり記憶がありません。淡々と走ったことと思います。

私にとってブルベの楽しみは美しい景色を堪能することなのですが、その意味では夜ライドはあまり楽しくありません。今回の1001 migliaは今回のように走って、結果昼間に見た景色には大変感動したですが、夜走るようにスケジューリングしたために見られなかった景色もあったのかもしれない、というようなことを考えながら走っていました。

コントロールでは食事のあと仮眠を3時間ほどとりました。固い床の上、周囲のいびきがうるさい中での仮眠でしたが屋内というだけで有り難かったです。

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【1001 miglia】Day 3

3日目は8/18 4:50ごろリスタートしました。

約680km地点にホテルを予約していたので、この日は200km弱走ればよい計画です。順当にいけば19時前にはホテルに着けるはずで精神的に余裕を持って走ることができました。どこにホテルを取るべきか最後まで手探りでしたが、結果的によい選択だったと思いました。

Stage 6 : 〜 Castelnuovo Berardenga (124.6km, 8/18 4:54 〜 8/18 13:37)

Stage 6は難易度星4つ、Stage 4に続く難コースになります。プロファイルの通りにアップダウンが続くコースではありますが、ただ、それまでの山道、峠道ではなく、ヨーロッパらしい丘陵地帯を走るコースになります。

そのため、腰、お尻の痛みはだんだんひどくなってはきたものの、全体的には景色を楽しみながら走ることができました。

特に、日の出の頃に走ったこのダート区間は本当に美しかったです。広大な自然の中、1人自転車を走らせるのは至福でした。

Stage 7 : 〜 S. Quirico d'Orcia (60.2km, 8/18 14:20 〜 8/18 18:11)

Stage 7もStage 6と同様、丘陵地帯を走るコースになります。一応、難易度は星3とのことでしたが、印象としてはStage 6と大差はありませんでした。距離の違いが星の違いなのかと解釈しました。

なのでStage 7も引き続き、ヨーロッパらしい景色を楽しみながら走ることができました。 この細長い木は糸杉というのですかね。イタリア人はアバウトなイメージですが、この糸杉だけは等間隔にきれいに植えられているのが印象的でした。日本人は枝を曲げたりして、敢えて不規則的に植えるものですが、対照的な国民性を感じたりしました。

チェックポイントでは最初のドロップバッグ(600km地点)を受領しました。サドルカバーと補給食(ゼリー飲料、カロリーメイト、塩タブレット)を取り出し、携帯していたモバイルバッテリーを充電済のものと交換しました。

今回、モバイルバッテリーの容量が不安材料の1つで、ここまで20000mAhを2つ、10000mAhを1つ持参して走っていたのですが、これまでの感じから20000mAh 2つは不要ということが分かったので1つはここに置いていくことにしました。

ただ、1つここでポカミスをしてしまいました。どうせこの後すぐホテルに着いて充電できるから、どっちを置いていってもいいやと考えて、使いかけの方を残して、未使用の方を置いていってしまいました。ところが、数時間のホテル滞在時間の間に満充電にすることができず、次の区間を不安を抱えたまま走ることになってしまいました。どっちでもいいならば満充電したものを持っていけばいいのにあまりにも浅はかでした。

さて、この日はStage 7のチェックポイントから10kmほど進んだGallinaのホテルに宿泊しました。ホテルと言うから受付があって、チェックインをして、というものを想像していたのですが、実際行ってみたら民泊のような施設で困惑しました。付近を探しても受付らしいものは見つからず、電話をかけてみたものの英語は全く通じず。しばらく探しているうちに、どうも隣の家がオーナーっぽいということに気付き、呼び鈴を鳴らして人を呼び、何とか宿泊することができました。

かなり時間をロスしてしまいましたが、でもシャワーを浴びて身体の汚れを落とし、ベッドで眠ることができたのはよかったです。この日は190kmほどしか走らなかったこともあり、かなりリフレッシュできました。

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【1001 miglia】Day 1, 2

それではスタートです。

初日は18時スタートということで、その日はAll Nightで走り、さらに17日もそのまま走り切り、Stage 5のチェックポイント Pontederaで仮眠をとるという計画で臨みました。一気に500km弱走ることになりますがPBPでもそんな風に走ったので大丈夫だろうと考えました。

そうするとこの日の難所はStage 4を中心とした海岸線のアップダウンになります。事前に聞いていた「西伊豆」を想像しながら走りました。

Stage 1 : 〜 Castellania (112.4km, 8/16 18:00 〜 22:59)

登録したスタート時間は18時でしたが実際には17時55分くらいにスタートしたと思います。10分ごとのwave startでしたが、参加者はそれほど多くなく、前倒しで進行していました。

スタート後も集団ができることはなく、割と序盤からソロライドに近い感覚で走りました。しばらくトウモロコシ畑など田園風景の中を走ります。正直、それほど「ヨーロッパ」という感じでなく、特別きれいでもなかったので普段の要領で淡々と走りました。

途中、サイコンを確認したらグロス28km/hに達していました。それほどオーバーペースで走っているつもりではありませんでしたが、交差点がラウンドアバウトになっており、信号による停車がないため、平均速度 = グロスになっていたようです。「もっと速度を落していいんだ」と考えながら走りました。

そうこうしているうちに変な橋にさしかかりました。木造の橋をところどころ鉄板、鉄網で補強したような橋です。走りにくいな、嫌だな、と渡っていたらやってしまいました。プシュー。フロントをパンクさせてしまいました。やっぱり空気圧が足りなかったようです。PBPのときも序盤にパンクさせてしまって用心していたつもりでしたが、持参した空気圧計が壊れていたとは拙すぎますね。

例のタイヤ外しと電動ポンプによってパンク修理が格段に楽になったと実感しつつも、私は普段滅多にパンクしないので修理の経験が少なく結構手間取って予備チューブを1本ダメしてしまって時間を大幅にロスし漸く再スタートとなりました。

これでグロスを22km/hほどに落として、23時ごろ最初のチェックポイントに到着しました。ここは公園の駐車場か何かでしょうか。水を補給し、スイカ、バナナ、塩パン(フォカッチャ?)などの軽食をいただいて再スタートしました。

Stage 2 : 〜 Casella Ligure (53.5km, 8/16 23:15 〜 8/17 1:35)

登り区間が始まっていきます。

ところで、私は登りは自分のペースで登るのが一番効率がいいと考えています(考えていました)。自分のペースより速く登れば疲れるのは当然ですが、自分のペースよりゆっくり走ろうとするとより筋力を使ったり、坂を抜けるまでの時間が長くなったりで、却って疲れてしまいます。

すっかり真っ暗くなって周りの景色を楽しむこともできないため、坂に集中して自分のペースで淡々と登っていきました。

チェックポイントは小さな公園のようなところでした。有料のパスタをいただいて、先に進みました。

Stage 3 : 〜 Deiva Marina (92.2km, 8/17 2:00 〜 6:39)

Stage 3は海岸線を含む92kmのコースです。前日の懇親会で他の参加者の方より「海岸線は西伊豆!」と聞いていましたが、「なるほど。確かに西伊豆!」と思いながら走りました。登り1本1本の長さ、斜度、そしてそれらが繰り返しやってくる感じが西伊豆に似ています。

途中通った地中海の海岸線ではまだ暗く対岸の明かりしか見えませんでしたが、最後の登りを登っているうちに空が明るみ始め、伊豆の町に似た景色を見下ろしながら走ることができました。 本格的にキツくなるのは次のステージからと思っていましたが、最後の登りは結構キツく、アレ??と思いながら登りました。

チェックポイントには水、軽食とシャワーがありました。ボディソープの類いは持参していませんでしたが、上だけ脱いでレーパンのまま浴びて汗を流しました。

Stage 4 : 〜 Gorfigliano (116.5km, 8/17 8:12 〜 8/17 16:23)

Stage 4は事前の案内で4つ星がついた高難易度のコースです。曰く「非常に厳しいインターンシップ。道路は、ソヴィオレの聖域に到達するまで、カーブ、でこぼこ、小さな裂け目、突然の下り坂の連続であり、かなりの肉体的努力と継続的で明晰な精神的注意を必要とします。」

走ってみると、まさに西伊豆でした。1つ1つの登りは無茶苦茶キツい訳ではないですが、どれも歯ごたえのある登りが次々に登場し、脚を削られていきます。

私の場合、Stage 3までの登りで頑張りすぎたため、持病の腰痛が出始め、暑さもあいまって苦しい展開になってきました。幸い時間的にはまだ余裕があったので、ところどころ立ち止まって休憩しながら何とか登っていきました。 最後の登りでは雨に降られるようになりました。最初は通り雨のような感じだったので休憩がてら雨宿りしてやり過ごしていましたが、段々雨雲の中に入り込んでいき、本降りの中を登っていきました。

チェックポイントは、運動会の簡易テントのような感じで雨をよけるのもちょっと大変でした。身体が冷えていたので1ユーロで購入したネスプレッソが本当においしかったです。

Stage 5 : 〜 Pontedera (116.1km, 8/17 16:50 〜 8/18 00:00)

Stage 5はプロファイル上は下り基調の50kmで始まるはずでしたが、実際走ってみるとアップダウンの繰り返しで、下っている印象はあまりありませんでした。 そのため、相変らずペースは上がらなかったのですが、脚を止めてしまうと一気にグロスが落ちてしまうので走り方を変えるべく試行錯誤をしてみました。考え方を改めて、出来るだけパワーを落して、体力を温存し、その代わり止まらないような走り方を心掛け、心の中で「ゆっくり、ゆっくり」と唱えてリズムを作り、苦しくてもスタンディングは使わず、心拍数を上げないようにしました。

結果的に、ここで登りのペースを掴めたことで最後まで走りきることができました。以降は登り区間も景色を楽しみながらゆっくり走ることができました。1001 migliaは12km/hで走れればいい訳ですが、15km/hで走る通常ブルベとは走り方を変えなければいけないことがよく分かりました。

チェックポイントはスポーツ施設のようなところだったでしょうか。ここで仮眠を取るつもりでしたがベッドは10台弱しかなく全て埋まっておりグランドにシートを敷いて寝ている人も多くいました。私は幸いベンチ(屋外)を見つけることができたのでそこで寝ました。上は雨具を着込みフードを被り、下はPBP反射ベストを毛布代わりにして寝ました。寒かったですが2、3時間寝ることができ眠気を飛ばすことができました。また就寝時、出発前、2回食事を取ることができたのもよかったです。

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